- 清水寺参道 五条坂・茶わん坂
- 作家紹介
- 河合徳夫
幼い頃から身近にあった焼き物とものづくり。その世界には自然と興味をもつようになっていました。
河合家は、代々五条坂で焼き物を作ってきた家系です。
ただ、父の誓徳(*1)は京都の人ではなくて、九州の大分の生まれです。京都に出てきてから母と結婚して河合家に婿養子に入りました。なかなか京都のしきたりや礼儀には慣れずにかなり苦労をしていたようです。それでいて母の父である祖父は京都生まれの京都育ちでしたから、肌が合わずしょっちゅう喧嘩をしていたとか(苦笑)でも祖父自身は、父を初めて陶芸家の集まりで見たときに気に入って、その時に婿にしようと決めていたんだそうです。
私の幼いころはまだ東大路五条の共同窯があって、その周りにたくさんの職人さんが暮らしていらっしゃいました。よくリヤカーに焼き物をのせて運んでいる姿を見かけましたよ。
家の前の坂をもう少し下ったところには八木一夫先生(*2)のお宅があって、そこの息子の明さん(八木明氏*3)は幼馴染でよく遊びに行っていました。また、八代清水六兵衛先生も小学校が一緒で、朝はよく一緒に学校に通っていましたね。身近にいた人の多くが、焼き物にかかわりのある人でした。
自宅の職場には、登り窯の一部屋分の大きさの薪窯「単窯」があって、火を入れる頃には家に薪が山積みにされていましたね。その横で薪割りの職人さんがリズムよく薪を割っていくんですが、それが面白くて、飽きずにじっと眺めていたこともありました。昭和30年代、まだ私が幼稚園くらいの頃の話です。
祖父の栄之助(*4)は、まだ大正の頃、陶芸はあくまで職人仕事、道具を作ることという考えが強かった時代に、「もっと陶芸を芸術として見ていこう」という運動に加わっていました。この運動があって、日展に工芸美術の分野(第四科)ができたんですよ。祖父はずっと、そんな公募展の審査員をしていました。
父も最初はこまごましたものを作っていましたが、次第に個展や日展への出品が主体になって、芸術性の高い作品を作るようになりました。本格的に陶芸に行く前はずっと日本画の勉強をしていたので、その影響もあると思います。
そんな環境でしたので、私も高校のころにはデッサンや彫刻をやるように、といわれていました。父の世代は陶芸を立体美術とする見方があって、私の世代は親から言われて彫刻を学ぶ人が多かったのでそのためですね。
かといって、父からは後を継げとは言われませんでした。父が別に継がんでもええよ、と言っていたくらいです。でも小さい頃からずっとそばで父や周りの作家さんの仕事ぶりは見ていましたし、自然とものづくりには興味を持っていました。絵を描いたりすることも苦には感じませんでしたし、割とすんなりと後を継ぐ方向に進んだように思います。
*1 河合誓徳(かわい・せいとく)。陶芸家。6代清水六兵衛に師事。元は日本画を学んでいたが陶芸に転じ、経験を生かした彩色美溢れる絵付け作品を数多く制作した。
*2 八木一夫(やぎ・かずお)。陶芸家。「走泥社」を結成し前衛的な作品を多く生み出した。陶芸に「オブジェ」の分野を取り入れた先駆者。
*3 八木明(やぎ・あきら)陶芸家。八木一夫の長男。京都造形芸術大学美術工芸科教授。伝統的な青磁の技法を用いつつ、現代的な作品を生み出している。
*4 河合栄之助(かわい・えいのすけ)。陶芸家。兄は同じく陶芸家の河合卯之助。大正9年に「赤土社」創設に加わり、陶芸を芸術として確立させた一人。日展などの審査員も務めた。
河合徳夫(かわい・とくお)
1956年生まれ。同志社大学卒。陶芸家・河合誓徳氏の長男。透明感と繊細さ、陶芸ならではの立体感を併せ持つ洗練された絵付け作品が特徴。「自然から学ぶ」をモットーに創作活動を行っている。
1984年日展に初入選。1988年日本新工芸展に於いて東京都知事賞を受賞。日展に於いては1993年と2001年に特選を受賞した。また2012年には日本新工芸展に於いて内閣総理大臣賞を受賞。現在、日展会員、日本新工芸家連盟理事、京都工芸美術作家協会会員など。
陶芸だからこそできる表現、日本人だからこそ、京都でものづくりをしているからこそ生まれる感性を大切にしたい。
でも、いざものづくりを始めた後の方が大変なんですよね。これは本当に自分の作品なんだろうか、父の真似をしているだけじゃないのか、と若い頃は葛藤したりもしました。でも、父がよく言っていたのですが「既成概念を持つと、ものを作る上で邪魔になる」。それで、人の物を見るのではなく、自然を見つめる中で自分の作りたいものが見えていったように思います。
陶芸はとにかく本当に幅が広い。作るものも作風も皆違う。実にさまざまです。その中で、自分は何を表現したいのか、自分の立ち位置はどこにあるのかを見定めることは、ものづくりをする上でとても大切なことだと思います。
その上で、今も役立っているのが、「絵を描くこと」。父に言われて始めたことですが、いまや自分の作品作りには欠かせません。暇を見つけては外にスケッチに行くことも多いです。スケッチをしていると、ものを本当によく観察して、深く考えることができるんです。
自分が作品を作る上で大切にしたいのは、陶芸なら陶芸だからこそできる表現をすることです。例えば、釉薬の持っている透明感は、絵画では生み出せない感覚です。土という素材の質感や、立体的な形も、陶芸ならでは。その表現を生かしながら、自然から得た、日本人だからこその感性をもった作品を作りたいと思っています。
日本人は昔から穏やかで、自然に学び、先達のものを取り入れて自らに生かす感性をもってきました。日本人だからこそ、京都という土地でものづくりをしているからこそ生まれる、独特の感覚というものがあると思うのです。その感性を大切にしていきたいですね。
五条坂・ちゃわん坂はさまざまな作風・ジャンルの作家がひとつの地域に集まっている。これ以上の研鑽の場所はありません。
五条坂・ちゃわん坂という地域のすごいところは、実に多彩な作家の方が近くにたくさんいらっしゃるところだと思います。そして作られているものはどれもすばらしい作品ばかりで、それが山のようにある。陶芸、芸術を学ぶ上で一番の場所でしょう。
例えば、ご近所に8代清水六兵衛先生がいらっしゃいますが、大変モダンで現代的な作品を制作されています。かと思えば、同じ界隈には昔からの伝統にのっとった、青磁や白磁の器を極めていらっしゃる作家さんもいる。陶芸だけでも、現代的な作品から伝統工芸的なもの、染付けから無地までほぼすべての分野の作家・作品がそろっていて、同じ地域でまとめて見ることができる。作家同士でも、「こんな作り方があるのか」と刺激になりますし、自分の知らない分野に触れることは本当に勉強になります。
また、陶芸家だけでなく大学で教鞭をとられている彫刻家の先生も暮らしていらっしゃいます。それに、父も京都には日本画を学びに訪れた身だったのですが、絵画などほかのジャンルの作家さんと交流したり学んだりもできる環境が京都にはあります。
これ以上の研鑽の場所は、全国どこを見てもほかにありません。
本当に、五条・ちゃわん坂は文化的レベルが非常に高い場所なんです。
これだけ質の高い作家さんがたくさんいらっしゃるところなのですから、それに触れないままに通り過ぎてしまう方がいらっしゃるのは、とても勿体無い。
ただの「観光」――ただ来るというだけではなしに、五条坂・ちゃわん坂という地域に暮らしている方が作ったものを実際に見て、そのレベルの高さを知っていってほしいと思います。
そのためにも、五条坂・ちゃわん坂ネットワークのような地域のPRを行う活動を企画して頂いたことはとてもありがたいことだと思っています。
まだまだ高い技術をお持ちの作家さん、職人さんは界隈にはたくさんいらっしゃいます。
そんな方の存在が活動を通じて脚光を浴びて、そして次の世代にも受け継がれていけば、本当に嬉しく思います。