- 清水寺参道 五条坂・茶わん坂
- 作家紹介
- 前謙株式会社 前田謙吉
様々な種類の陶磁器を高品質で作る。
全国でも一番の品質を誇る京都の焼き物だけができることでした。
様々な種類の陶磁器を高品質で作る。
全国でも一番の品質を誇る京都の焼き物だけができることでした。
私は大阪生まれで、もともと京都の人間ではないのですが、(旧制)商業学校の卒業後に京都に働きに出ました。ちょうど戦争の直後で大阪は丸焼けになってしまって、職場の「山亀商店」というところが京焼の卸をしている店で、そこでしばらく勉強した後、26歳のときに独立しました。
元々私の兄も陶器の小売に携わっていましたので、陶芸は身近に感じていましたし、その影響もあってこの世界に入りましたね。
京焼、特に清水焼は全国的に見ても品質は一番です。安物は作らず、高級で質のよいものを作る、という姿勢がある。
また、何でも京都では作ることができるところも大きいですね。これが他産地だと全種類が作れるというわけではないので、皆バラバラになってしまい、「睦揃」にならないんです。注ぐものから入れるものまで様々なセットで作る、ということは、京都でなければできなかった。それほど技術の優れた産地なんですよ。
ただ、今は品質的にはダントツ、とは言えなくなってしまったところもあります。名工といえる方はもちろんいらっしゃいますが、何より、職人さんの数がものすごく減ってしまいました。訓練校を出ても職人さんの受け皿となる職場が無くて、結局行き場を失ったりという事もあり、若い人も入ってこない。それで全体に落ちてしまっている傾向があるんです。
昔は一軒に職人さんが三十、四十人といるような窯元さんも十箇所以上あったんですけれどね、今はひとつもなくなってしまった。昔は昼飯時になるとうどん屋に職人さんが押しかけて満員になっているなんてざらな光景だったけれど、今はまったく見かけなくなってしまいました。
前謙(まえけん)株式会社
1970年創業。五条坂に社屋を構え、主に京焼・清水焼の各種食器全般を取り扱い、各地の専門店・小売店に多数の商品を送り出している。顧客の要望を取り入れ、伝統の手業を駆使したオリジナル品の開発も行う。
今回お話を伺った前田謙吉さんは創業者であり、現在は会長を務める。
どの伝統産業にも通じる話ですが、産業の基盤が崩れ、業界全体が小さくなってしまったように感じます。
焼き物の世界は様々な工程の集合体です。それぞれに専門の人がいて、それが集まってひとつのものができる。そこから特に良いものを見つけ、選び、世に出すのが卸の仕事です。
特にバブルが崩壊してから、業界全体が疲弊してしまったように思います。我々のような問屋・卸業者も、ピークの頃には50社以上ありましたが、今は20社、半分以下になってしまいました。うちは社員がおりますが、社員を抱えて何とかやっていけているところも、ほんの数社です。
あらゆる伝統産業に通じる話ですが、業界自体が縮小傾向になってしまったんですね。
うちは消費地の問屋さんや、全国各地の小売店を主な顧客としていますが、昔は見本市をやりますと、東京でも名古屋でも、ものすごい人が来ていた。ごったがえしてましたね。勝手に人は来るし、放っておいてもものが売れていったくらいでした。清水卯一さんとか、後に人間国宝になった方ともご近所ですからお付き合いがありました。それで先生の作品だけ集めて、うちで個展をしたこともあったんですが、本当にあっという間にひとつ残らず売れてしまった。それくらい、景気の良い、賑やかな時代もあったんですよ。
でもバブル崩壊の頃を境に、ずいぶんと元気がなくなってしまった。地域だけじゃなく業界全体が、どことなく寂れてしまいましたね。
うちは産地問屋なので、全国にものを売る場合はその地域の消費地問屋さんに商品を卸すんですが、その消費地問屋さんも結構潰れていて、市場も小さくなってしまっています。うちにとってもここ十数年は本当に荒波の中にいるようでした。
職人や窯元さんを守り、京焼の品質を保つ「ダム」。それが産地問屋の役割。
いつまでも沈んだままではなく、自分たちからも何かしていかなければならないと思います。
そのうちに窯元さんの中には問屋はいらんわ、って、直接ものを売るようになったところも出てきました。でも、お客さんの欲しいものの傾向とかをきちんと把握しきれないので、要望に的確に答えられなかったり、丁寧な対応をしきれなかったり。
産地問屋というのは、商品にしろ資金にしろ、窯元さんにとっては「ダム」のような役割を果たし、どうしても苦しいときや、損害が出たときなどは窯元さんに影響が及ばないようにせき止めたり、という事が昔は出来ていました。
確かに今は決して楽な時期・状況ではありませんが、いつまでも悪い状態が続くとは思いません。先行きを悲観するような言葉が巷には溢れていますが、完全に元通りとはいかなくても、沈んだままでずっといることはないでしょう。完全に需要がなくなっているわけではないし、価値のわかる人はちゃんといるのだから。だから、いつまでも下を向いているのではなく、自分たちから前を向いて、何かしていかなければならないと思いますよ。私も老骨に鞭打ってがんばるくらいの気持ちでいたいものです。業界をリードする、とか大それたことを言うわけではありませんが、この五条・ちゃわん坂という地域の発展を願う気持ちは、人一倍あると思っています。