作家紹介

陶好堂 井原道夫

昔は作り手同士が、互いに交流し、盛んに情報交換をし合っていました。
今はそんな作り手や地域の横のつながりが、少なくなってきているように思います。

昔は共同窯があったおかげで、職人さんの出入りや交流もよくあったのですが、今はものの流通の形が変わってきたこともあってか、横のつながりが以前より少なくなってきているように思います。
私の父親たちの頃には、玄関先で作家さんや職人さんに会ったときに「最近はどないです?」なんて声を掛け合うこともよく有ったのですが、最近はだいぶ減ってしまいましたね。

また、昔は焼き物作りはそれぞれの工程を専門にこなす職人さんの分担作業でしたが、今は形を作って、焼いて、色を塗るところまで、ほとんどを自分の家や工房一箇所だけでできる窯元が多くなってきています。そのため、作り手同士での交流が少なくなってきているんです。

共同窯があったころは、自分の作品を運んで窯へ詰めに行っていました。そこには他の作家や職人さんもいますから、お互いに情報交換をするんです。最近の調子から、どんな作品を作っているか、釉薬はこんなものを使っている、といった具体的な話まで。それこそ、五条坂・ちゃわん坂は本当に「焼き物の里」だったんです。
それが設備・流通の発展や色々な要因もあって、共同窯ではなくそれぞれの個人の窯で、個別にものを作るようになりました。確かにそれが良かった点もありますが、人と人との交流の機会がなくなってしまったということは確かです。

それぞれが個人で焼き物をつくることで、作家や窯元さんの持つ独自の技が外に漏れず、その人だけ、その窯元だけしかできない、という個性や特徴がはっきりする、という利点もあります。しかし反面、他人の作品やアイディアに触れる機会がないので、悪く言えば「独りよがり」になってしまうということもあるのではないでしょうか。

うちの店では主に、京料理店さんや割烹料理店さんとかで使う器を扱っていますが、その際に、お客さんからの要望を踏まえ、私どもで企画をして、職人さんに作ってもらうことがあります。でも、独りよがりになってしまうと、自分の思いだけでものを作ってしまうんですよね。エスカレートすると、器なのに、使う人のことを考えなくなってしまったりするんです。

陶好堂 井原道夫
陶好堂(とうこうどう)
大正七年創業の陶器店。戦後「陶器好きの店」の意味を込めて二代目の代で現在の店名に変更した。主に京都市内を中心に、料亭や割烹、ホテルやレストラン向けの業務用食器を取り扱う。一般向けとは異なり「料理を主役にする器」が前提となるため、商品は顧客の要望に応じたオーダー品や要望を汲んだオリジナル品が主体。

作り手が「独りよがり」にならないよう、器を使う側の意見・イメージを汲み取り、フィードバックするのが私たち「売り手」の役割です。

私たちのような店・問屋は、作り手さんとお客さんの間に立って、お客さんの意見をフィードバックするのが役割です。
お客さんもこだわる方は本当にこだわる。柄はもちろん、形にミリ単位でこだわる方もおられます。「この器は丸く作ってあるけど、四角い方がいいんじゃないか」「この絵柄は小さめにした方が盛り付けも映えていいんじゃないか」とか…そういうユーザーからの声を作り手に伝える。作り手が「独りよがり」にならないよう、使う側の思いを理解してもらう。そのために私たちという存在があります。

京料理と食器というものはとても密接な関わりがあります。食器を使う側はどの料理をどんな器に盛ったらきれいに見えるか、がポイントですから、それを具体的にイメージしています。器をのせるお盆かお膳があり、お膳があるなら、そのお膳が乗っかるのはどんなテーブルなのか。部屋は和室なのか洋室なのか、建物は数寄屋造りなのか鉄筋のビルなのか、庭の位置取りはどのようになっているのか…そんなところまで考えていたりするんですよね。私たちはその「器」という部分だけをお手伝いさせて頂くわけですが、ロケーションや使われる季節など、さまざまな要素を総合して、それをぎゅっと小さく凝縮した存在が「器」なんです。
お客さんから「鱧(ハモ)を盛る皿が欲しい」といわれたら、そこからお客さんが望んでいるであろう色々なことをイメージし、「じゃあこんなものがいいんじゃないか」と考えて、作り手さんへお願いして作ってもらうわけです。


交流が失われたことによる影響は大きい。
だからこそ、また人と人との会話が聞こえる、にぎやかな場所になって欲しいですね。

昔は作り手さんも「鱧を盛る皿」と言っただけで、どんなものがいいかすぐにイメージしてくれたものなのですが、しかし今はそのイメージ自体ができない、という人も増えています。店と作り手でイメージを共有して会話のキャッチボールができていれば、良いものを早く作ることができます。こちらのイメージを汲みとって、うまく形を作ってくれる職人さんに仕事をお願いすることが多くなります。
自分自身も反省すべきですが、作りたいもののイメージを具体的な形にできないというのは、人と人との交流が減ったために、イメージの引き出しとなる知識や人の考えを聞く機会が少なくなってしまったためだと思います。
やはり、交流が失われたことによる影響は、とても大きいですね。

昔のように作り手同士はもちろん、陶器に関わる人々のの交流が盛んになっていったらいい、と思っています。五条坂から、ちゃわん坂の上の方まで、会話があちこちで聞こえて、人でにぎわっているような。
そんな街であって欲しいですね。