五条坂・茶わん坂について

発起人・賛同者の紹介

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発起人の皆様に五条坂・茶わん坂ネットワークについて、それぞれに語ってもらいました。

山田東哉 陶芸家。当代2代目。武蔵野美術大学インダストリアルデザイン科卒、デンマーク国立美術大学(クンスト・ハンド・ヴェアク・スコーレン)陶芸科に留学。初代陶哉が、大正8年(1917)洛東清水音羽山嶺において創窯。昭和11年(1936)銀座に店舗「東哉」を開設。伝統的な京都の雅に東京の粋を取り入れた「粋上品」の器物を創出する。

この会の立ち上げへの思い

 現在、京焼、とりわけ京焼食器をとりまく環境は目をおおうばかりなのです。デパートの食器売り場から京焼のコーナーがなくなったところもあり、又、全国的に店名を知られた有名ブランドさえ、本店を貸ビルにしてしまう様な状況です。そんななかで、京焼発祥の地と言われているこの地で、様々な、ちがう形で京焼にかかわる有志を集め、この地域の活性化を計り、ひいては京焼の良さを全国・全世界へ発信しようとしてこの会を立ち上げました。

この地域への思い・現状について

 リヤカーで品物を運ぶ職人さんや松割木の束、土をたたくパンパンという音等、子供の頃から体で感じていた「やきものの町」。どんなに偉い芸術家でも、「近所のオッチャン」だったこの地域。地縁をチェーンの様につないでいけたら…と思う。作家、問屋、小売りの別なく全てをネットワークとしてつないでいきたい。

将来への展望

 行政や公的機関にも協力して頂き、次の世代につなげる役目をしなければいけないと思います。

» 東哉

株式会社東五六 代表取締役 浅井興二 同志社大学経済学部を卒業後、伊藤忠商事大阪本社に入社。7年間の勤務の後、京焼・清水焼の専門店であり父の経営していた株式会社朝日堂に入社。その後、本家より独立し、平成3年に株式会社東五六を茶わん坂に設立、現在に至る。

この会の立ち上げへの思い

京焼・清水焼の発祥地という由緒あるこの地域の存在理由というか過去・現在・未来を広くPRすることになぜか使命感のようなものを感じたこと。現状のままではこの地域と【 やきもの産業 】また【 やきもの文化 】との関わりが消滅していくような危機感を感じ、いまささやかでも何かできることがないだろうか、と考えました。
つまり、ここでやきものの仕事に携わる者が、製造であるか販売であるかを問わず、この地域の魅力を私たち自身が臨場感をもって少しでも多くの方に告知していくことからはじめ、私たちに賛同していただける方の協力を得て更に広く深く発信していければと考えた次第です。同じ思いを持った者が何人か集まれば発信力もそれだけ強くなる。幸い、今はインターネットというITのお蔭で多くの情報を比較的安く、且つ効率的にアピール出来る時代です。勿論これもやりかたが大事ですが・・・。

当地域への思い

清水というところはわたしにとってまさに【 ふるさと 】です。ここで生まれ、育ち、そして今がある。「地縁」ということの有難さを感じています。

業界と地域の現状

素晴らしい文化の発信拠点でありながらその歴史的価値が見過ごされ、この地域ならではの様々な魅力が埋没していることを憂えています。
一方、過去の遺産的な価値ばかりではなく、現在進行形で世界的に活動されている作家などもここを拠点に発信されている方がいまも沢山おられる。つまり、この地域は伝統的なものから前衛的なものまで、まさに伝統性と革新性をあわせもった土地柄です。
そして意外とそのことが知られていません。

将来への思い

世界文化遺産である清水寺や多くの名所旧跡に囲まれたこの地域に於いて、日本人の感性を代表する【 やきもの産業 】が育まれてきたこと。そしてこの地にはその担い手たちが現在様々な形で頑張っていることをやきものファンだけでなく、京都や日本を愛する世界中の人々への情報として出来るだけ広く発信していく。
また将来は周辺の観光情報やイヴェント情報、この地域にまつわるいろいろな文化や歴史、また店や人の紹介などの発信によって、この地域の知名度を上げたいと思っています。そういった意味で【 京都にあって固有の文化ゾーン 】であるということを、ささやかであってもこのような活動によって、いまアピールすることが将来に繋がっていけばという思いです。

» 東五六

河﨑 尚志

この会の立ち上げへの思い

 この春に、京都市内の公立中学生が伝統産業を学ぶ授業の一環で、私のお店に数グループ来られて話をしたのですが、「清水焼って、古くさい焼物で、マグカップを作ってるとは思わなかった」とか、中には「京都で焼物を作ってるて知らなかった」とか言う生徒さんもおられて驚きました。
 他の産地に比べ、狭い地域に小さな窯元さんや作家さんが集まり、それぞれが独自の多彩な技法や加飾で完成度の高い焼物を作っている京都独特の焼物文化を衰退させてはなりません。
 この地域、五条坂、茶わん坂には、焼物にたずさわる多くの方々がおられます。作家さん、窯元さん、卸問屋さん、小売店さんなどが、日々の業務に精進なさってます。それぞれの業態には組合や、連携がありますが、業態の枠を越えた交流はこれまで少なかったように思います。
 この会が、多くの方々の業態の枠を越えたつながりを進め、京焼、清水焼発祥の地として、共通の課題解決、あるいは地域の魅力を発信するイベント開催などをしていく母体になっていけばいいなと思います。

地域への想い

 山紫水明の地と謳われた、この東山地域は、美しい自然がまだまだ残っています。また、平安時代より、歴史的に重要な土地であったため、公家や武家が権勢をふるい、多くの社寺を建立し、国宝の密度が日本一と言われるほど、文化的にも優れた地域です。
 京都市景観町づくりセンターさんの主催する町歩きツアーのガイドを時々やらせていただいてますが、毎回2時間程度の時間内に収めるために、どこを省こうか苦慮するほど見どころにあふれています。民間の信仰にもとづく説話や伝承も数多く、時間と共に積み重ねられた層の厚さを感じます。
 大小の社寺も魅力的ですが、五条坂茶わん坂近辺の焼物の町、花街宮川町、魔界に通じる松原通あたりと地域ごとの特色や、それぞれに違う街並みの美しさも歩いていて楽しいです。細い路地や図子を抜けたり、古い井戸のポンプ水で打ち水されてたり、お地蔵さんにお花が供えてあったりと、地域の人々の生活の息遣いも身近に感じられて嬉しくなります。

将来への思い

 窯ごとの手造りの良さをもっと出して、明らかに他の焼物と違う、物づくりを進めなければならない。小ロットの対応が可能なので、たとえば、京料理店と協力して個別の料理に特化した器や、お店の看板など、個々にオリジナルな焼物づくりをしていく。

» 陶点睛かわさき

猪飼祐一 陶芸家。昭和38年、京都五条坂の陶器商に生まれる。京都府立陶工訓練校 成形科卒業、京都市立工業試験場 陶磁器研修修了し、人間国宝 清水卯一氏の指導を受け開窯、清水保孝氏に師事する。

この会の立ち上げへの思い

 お声がけ戴いた頃、ちょうど、若手・中堅の京都の焼き物に携わる仲間達の間で、何かしなくては、今行動を起こさないと、未来に繋いでいけないんじゃないか、でもどうしよう?
そんな、話が出だしておりました。
そんな折に、五条の登り窯にもう一度火がはいらないか、そうする事で、人々の心にもう一度あかりが灯らないかと考え、起爆剤として行動を起こしました。

この地域への思い

 多くの問題をかかえ40年前に火が消えた物を再興するのは、とても難しい事なのですが、なぜ登り窯なのか?  それはけっして松割り木を燃やし、煙がモクモクと出、神に祈る思いで焚き上げる事への、郷愁や原点に戻るということではなく、昔は窯を中心に全てが回っていたと言う事です。
多くの窯が共同窯で、窯詰め、窯焚き、窯出し、に全ての焼き物関係者が集まり、又販売する者、お客様達も一喜一憂する場であり、大切なことは、その場が技術や知識の伝達の場であり、共同作業の中で、無意識に個の意識を高め、切磋琢磨する事が業界全体のレベルをトップとして保っていたのではないかと思います。
京都は保守と革新が共に高いレベルでせめぎ合い、さらに高みに上っていくという構図があります。

現状について

 現在個々に窯を持ち作業をする事で、より多種多様な物が生まれ、慣習にとらわれる事なく自由に仕事が出来ていると思います。
ただ、地域、団体で、厳しい時代を乗り越える為に活気ある人々が様々な活動をされていますが、全体としての発信はない様に思います。
窯元・卸し・小売り・陶芸家・学校・画廊・美術館など、又焼き物を使うお店などの情報が一同に集約される事が、登り窯に人々が集った現代版にならないかと思いました。
形ある物ではありませんが、ネットの中で常に新しい情報が流れ、日本国内だけでなく、海外へも発信出来、多くの人同士交信し、新しい人間関係が生まれ広がって行く事は素晴らしいことだと考えます。

将来への展望

 私はこの町で生まれ育ち、この坂道を毎日のぼりおりしてますが、30年前と街並みはそんなに変わってませんが、やきものの店や作り手は随分減りました。決して良くはなってないし、やきものの街という印象は薄れていってるように思います。
後継者の問題も今後さらに問題がでてくる様に思います。
未来ある町にするために、今行動を起こせる人達が集い、微力ながらも先ず動く事が、そして継続していく事が大切で、共に助け合いながら、形ある物に結びつけて行きたいと願っております。